2007/05/25

シトワイヤンとは

ここでいう「市民」は、日本語の語感からはずいぶんとかけ離れた意味をになっているので注意を要する。日本語の「市民」は、
ただの町の人、生活者、政治とは関わりのない普通の人というニュアンスが濃厚だが、ドゥプレのいう「市民」
とはフランス語のシトワイヤンのことで、ポリス=政治社会の構成員、すなわち公事=レス・ププリカに参加し、国家意思、
政治的意思の形成にかかわる自律的個人を指している。その意味では、「公民」とするほうが適当かもしれないし、
現にそのように訳される場合もある。ただ、日本語の「公民」にはお上に従う民というニュアンスがあり、
それではシトワイヤンの本義から大きくはずれることになる。フランス語のシトワイヤンとは、「人権宣言」として知られる、1789年の
「人および市民の諸権利にかんする宣言」における「市民」のことである。この「宣言」における「人」
とは啓蒙の思想家たちが好んで使った概念である「自然状態」における個人のことであり、「市民」
とは社会契約によって形成された共同世界=政治社会のメンバーを意味している。


これがフランス型の「市民」概念であるとすれば、「市民」にはアメリカ型の考え方が存在するとも言われる。この理解によれば、「市民」
とは、国家から自由な市場に参加し、私益を確保する人間として定義される。アメリカ型の「市民」
が国家からの自由を享受する個人であるとすれば、フランス型の「市民」は国家への自由を担う存在ということになる。このふたつのタイプの
「市民」は、見られる限り、「自由」に対するふたつの異なったとらえ方を前提にしている。十九世紀前半の思想家・作家バンジャマン・
コンスタンは、「国家への自由」と「国家からの自由」を、それぞれ、「古代人(古典古代のギリシャ・ローマ)の自由」、「近代人の自由」
として理解した。


(「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」 レジス・ドゥプレ 水林章訳)


(補足1:「ここでいう」の「ここ」とはレジス・ドゥプレの「あなたはデモクラットか、それとも共和主義者か」を指す。
本文は訳注として掲載された文章である)

(補足2:「市民」はフランス革命以前は男性名詞としか存在しなかった。)